交通ルート

八達嶺長城:千年の歩みが残る関溝の古道

· #北京#长城#八达岭#世界文化遗产#徒步

北京・延慶区軍都山、関溝古道の北口。明代の長城の中で最も保存状態が良く、最具代表性の一区がここにある。しかも一般公開されたのが最初だった。一九八七年、長城は世界遺産に登録され、八達嶺はその中で最も傑出した区間として核心を担った。一九六一年には最初の全国重点文物保護単位にもなっている。

八達嶺長城の全景、城壁が山稜を駆ける

飾りがない数字

  • 場所:延慶区軍都山関溝古道北口、標高約一〇〇〇メートル
  • 築城:明・弘治18年(1505年)から万暦年間(1573〜1620年)にかけて大規模に施工
  • 城壁:案内されているのは全長約三七四一メートル
  • 敵楼:十九基(南段4・北段12・関城周辺3)
  • 断面:平均高さ約七・八メートル、基部約六・五メートル、頂部約五・七メートル。五馬並走、または十人並列が可能
  • 遺産:一九八七年登録、一九六一年第一批国保

山岳地帯の城壁としてはかなり広い。これは観光用ではなく、「馬が通り、列が組める」という軍事基準で築かれたのだ。

城壁と敵楼、頂部は十人並列が可能

戦国の夯土から明代の煉瓦へ

この地の築城史は明长城より遥かに古い。『史記』によれば、燕は東胡など北方の遊牧民族を防ぐため北部の国境に長城を築いた。関溝の両側の山稜からは、戦国燕长城の夯土遺構が確認されている。北斉(550〜577年)も突厥・契丹を防ぐためこの一帯を修築している。

今日の八達嶺の姿を形作ったのは明代の工事である。弘治18年(1505年)から城壁が本格的に築かれ、万暦年間(1573〜1620年)に更に補強されて、敵楼の密な厚壁の形態になった。その後三百年間、大きな改築はなかった。

関溝――くり返し歩かれた一条の道

八達嶺が八達嶺たるゆえんは「関溝」にある。全長十数キロの谷間を、居庸関から北へ軍都山を越え、延慶・赤城方面へ抜ける道。華北平野から蒙古高原への通道として、昔から人が往来した。兵はここに壁を築き、商隊と使節もここを通った。現在の高速道路と鉄路もほぼ同じ谷間を通っている。高所に立てば、なぜここを押さえねばならなかったかがわかる。

関溝の谷、今も昔も同じ道を通る

半ばで投げ出さない登り方

  • 北段(北八楼より北)が最も急。傾斜がきつく段差が細かい。体力に自信がなければ北八楼で引き返すのが正解。
  • 南段は傾斜がゆるく、高齢者や子ども向き。敵楼は少ないが視野が開ける。
  • 全区間三七四一メートル、普通の歩速で二〜三時間。夏は朝一として上ること。
  • 山上は風が強く気温が低い。夏でも一枚持参。冬は凍結するので滑りにくい靴を。
  • 敵楼は風よけになる。休むときは有効。

北段の敵楼間の急坂

実用情報

  • 開園時間:四月一日〜十月三十一日 6:30〜19:00。十一月一日〜三月三十一日 7:30〜18:00。
  • 入場料:繁忙期40元、閑散期35元。学生は半額(公式発表による)。
  • バス:徳勝門から877路で直通、約一時間半。
  • 列車:北京北駅または清河駅から京張線(北京〜張家口)で八達嶺長城駅まで約二十分、徒歩で到達。
  • 自家用車:京蔵高速(G6)の八達嶺長城出口から、大型駐車場あり。
  • ひとこと:天気は先に確認を。山上は市区より三〜五度低い。繁忙期の週末は混むので平日を選ぶとよい。

夕暮れの城壁、最も人が少ない時間帯

組み合わせて行くなら

南へ約二十キロが明十三陵(同じ日に組みやすい)。西へは延慶の野三峡や古崖居といった山野の見どころ。時間があれば「長城+十三陵」の一日がおすすめ。朝いちばんに長城へ上がり、昼に下山して食事、午後は十三陵へ。

遠くに続く山稜の城壁

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