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天壇:明清の皇帝が天を祭った、正方形と円の地

· #北京#天坛#世界文化遗产#祭天#祈年殿

北京の東城区、永定門内大街の東側に、杉に覆われた静かな地がある。明清二代、皇帝は冬至にここで天を祭り、春には豊作を祈った。ほかの者は近づけなかった。一九九八年、ユネスコはここを「人間の芸術の傑作」として世界遺産リストに加え、その建築と景観設計が「遠東地域の建築と都市計画に深い影響を与えた」ことも付け加えた。

天壇の全景、北が円で南が方形

数字と規則

永楽18年(1420年)の創建、敷地は約二七三ヘクタール。四千数百ムーにあたる。二重の塀が取り囲み、外側の塀は「回」の字を描くが、内側の塀は北が円く南が方形なのだ。天は円く、地は方い。中心となる建物は六つ、祈年殿・圜丘壇・皇穹宇・斎宮・神楽署・犠牲所。1961年、最初の全国重点文物保護単位に指定された。

「天地合祀」から「天地分祀」へ

永楽の時代、ここは天地壇と呼ばれていた。最初の大祀殿は円殿ではなく、面闊十一間の長方形の殿で、屋根は黄色い琉璃瓦を俺、天地を一緒に祀っていた。

転機は嘉靖の時代にやってくる。世宗が礼制改革を推行し、嘉靖9年(1530年)に古制「天地分祀」を復活させた。北郊に地壇(方沢壇)を新築し、従来の天地壇は天だけを祀る場所に改め、さらに大祀殿の南側に露天の三層円形石壇、つまり圜丘壇を建て、冬至の祭天に用いた。嘉靖17年(1538年)には大祀殿を三重檐の円殿に改め、大享殿と改名して春の祈谷に使い、上中下三層の檐には青・黄・緑の三色の琉璃瓦を重ね、天・地・万物を象徴させた。こうして「南の圜丘、北の祈谷」の格局が定まった。

祈年殿、三層の青い琉璃檐と楠木の巨柱

清が関内に入ると、祭天の作法はそのまま受け継がれた。変更が最も大きかったのは乾隆16年(1751年)で、大享殿を祈年殿と改名し、三層の檐の琉璃瓦をすべて青に替えて天の至尊を際立たせた。同じ頃、圜丘壇の壇面・欄板・望柱の寸法と数が「九」の倍数に合わせて再調整され、壇面の石も北京産の艾葉青石に替えられた。皇穹宇や斎宮もこの時に拡築・修築されている。

祈年殿――二十八本の柱の算術

三重檐、円形、直径約三二メートル、高さ約三二・八メートル。楠木の柱二十八本が殿を支える。中央の太い「竜井柱」四本、その外に金柱十二本、さらに外に檐柱十二本、合計二十八で、天の二十八宿に对应する。檐の上はすべて青い琉璃瓦で、周りの杉並木とともに空を同じ色に染める。ここは一圈歩いてまわりたくなる場所だ。

祈年殿内部の楠木柱と彩画

圜丘と皇穹宇――音を運ぶ石

南の圜丘は露天の三層石壇。最上層の中央にある円い板が太極石で、その上で話すと欄板が音を反射し、思いのほか大きく響く。その北にある皇穹宇は円形の単檐小殿で、外側を巡る円壁が名物の回音壁だ。壁の東西に分かれて囁くと、音が曲面に沿って伝わり、向こう側によく聞こえる。公式は残っていない物理である。

回音壁と奥の皇穹宇

一面の石橋と一段の礼制

圜丘から北へ向かうと、高さ約三メートル、幅約三十メートルの丹陛橋という長い石道を渡る。明清では皇帝が祭前に斎戒沐浴し、この橋を静かに渡った。脇の杉は建物より古く、その下を通ると知らずに声が低くなる。毎月初一と十五には一般にも開かれ、北京の人々が歌を歌い、将棋を指し、太極拳を練る定番の場所でもある。宗教の地と市民の広場が、ここでは朝から同居している。

丹陛橋と両側の杉

実用情報

  • 開館時間:四月〜十月 大門6:00〜21:00、祈年殿・回音壁・圜丘などの見景点8:00〜17:30。十一月〜翌年三月 大門6:30〜21:00、見景点8:00〜17:00。閉園前一時間に売り止め、見景点は閉館前三〇分に最終入場。
  • 入場料:繁忙期 聯票34元・大門15元、閑散期 聯票28元・大門10元。学生・高齢者・軍人などは有効証明で半額または免額。天壇公園公式発表を確認のこと。
  • 交通:地下鉄5号線「天壇東門」駅A2口、または8号線「天橋」駅C口。バス6路・34路・35路・36路・72路・106路・110路などが天壇北門・南門停下車。
  • 自家用車:周辺の駐車場は少ない。公共交通を推奨。
  • ひとこと:静かに撮りたいなら平日の午前、地元の人が歌うのを聴きたければ週末の早朝。

雪の祈年殿

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